eienchang’s diary

内面の考察と日々の学びをひたすら書くぶろぐ&◆◆◆英語・翻訳の勉強のメモノート88888

救済という自我の欲。罠の蜜

'''弱者の救済ゲームは、もう終いだ終いだ'''(祭り風)

 

救済者は、表で救済をしながら自我の快楽に浸り、

影で弱者を生み出し続けている。

 

 

==

(

困った人たちを助けたい想い.その想念は、

困った人たちを生産し続ける.という

 

メビウスの輪にハマり込んで

もうやめよう.としなければ、抜け出せない。

永遠に困った人たち助けられたい人たちを自分の元に引き寄せ続ける。

 

私は、人の役に立ちたい。人に奉仕したい。という欲求がものすごかった。

だけど、一周して、

 

人は、存在そのものに、

ただ存在しているだけで価値があり、

 

無能でもよく、なにもしなくてもよく、社会のためにならなくたっていい。

ただ"在る"ということだけで それは、宇宙に貢献していること.なのだ。

 8 存在そのものが無限の宇宙の愛!8

と心から納得できたとき、やっと気付けた。

 

社会に貢献していることを正しさとする能力がある人は、

何もできない人を 裁くようになる 。そして非難する

それが蔓延している社会が 疲れた人たちを追い詰め自殺者をつくる

)

 

==

 

外に現実があると誤解する

外に助けるべき対象があると錯覚している

本来、助ける対象は、自分自身だ。

 

この地球の

自己救済ゲームが

他者救済ゲームへ いつの間にか 

スリカワッテいるというロジック

 

おかしなロジック*

(高慢ながらも...そう、助けてあげたい.だなんて、

(困っている人など、そもそもいない論。

困っている可哀想とは、人の思考が勝手に創り上げる負の幻想 )

私は上から目線で、とても高慢人間だった。今でなら認められる。%

私は良い人間でありたい、いいことをしたい欲に飢えてたのかも)

 

だから 

「救済したがりたい高慢人間」も

「困ったふりをする助けられたい人間」も

私の周りには、似たような人間がうじゃうじゃ引き寄せられて

当時の日常は、はちゃめちゃで混沌としていた。 

(いまはとてもシンプル。好きなことしかしない。

 

もう助けない.を宣言する勇気は、

=困った人をこの世界からなくす.ことに繋がる。

=世界が.地球が平和で在る.ということを

再現することに繋がる。

=文明が飛躍し、人類は宇宙へ飛翔する

=そして人類の精神を魂を根底から高める

こと.に繋がる。よって全て(の想念)は繋がっている。

想念が行動を上回る年がやってくる。

住の地がまる 2019

 

大事なのは、いつも自分を助けること。

自分を大切にすること。自分に優しく生きること)

 

助けるはずの私がその助けたい相手に

どんどんお金を吸われて自分が貧するという...

情けないどうしようもない状態に陥っていた過去の私。

(稼いでも稼いでも永遠に稼ぎ続けなければいけないというハムスターの回し車に

地獄の回し車に(笑) 望んで自らをくくりつけ、必死で漕ぎ続けていた。疲れた。疲れ果てた。

自分を犠牲にして他者に与え尽くすという究極の

(悪魔のささやきにソソノカサレタ)自己満足。(神は犠牲など求めていない)

それを私は、母、高校のときのE、成人になってからのMの3人で、

味わい尽くした。もう十分だ笑)

 

<対象>を助けたい救いたい。などという、その無謀な私の想い(信念)で

地獄の世界に住む彼女たちは、(人間界で/逆に)弱者であるフリを

ずっとしていた。

彼女たちは常に人間の生贄を必要とした。

(悪魔にとって人間の肉体や精神、魂は得がたい誘惑らしい。)

精神のメタファー的 犠牲、肉体的犠牲、

を極上のワインのように贅沢そうに啜(すす)っていた。

それは、きっと生き血だ。

 
犠牲の血を悪魔は望む.

 絡め取られたら.その血が尽きるまで...

まるで鉄の処女に閉じ込められるかのように

 

 

 

(助けるはずが余計に助けられない状態に陥っていることに

私は途中で気付いた。そして、助かる、は、

自分で勝手に助かる...ということだ。

という忍野メメの言葉は精神は、格言だと思った)

 

病弱であるという役者を長年続けてきた...のだと、のちに(自分の内で)判明した。

彼女(たち)はそうやって、被害者の役を演じて、

「かわいそうな私」を何度も何度も 民衆に発して

観測する人たちに対して、助けたいと思わせるのがとても上手だった。実に巧みだった。

それは、巧妙に仕掛けられた罠だ!!! 花の蜜や花粉は、蜂を誘うため。

(私は、その蜜を褒美に、ひたすら働く働き蜂だった)

 

そんなふうにして、虜にし、骨の髄(ずい)まで吸い上げ、

相手を内側から骸(むくろ)にする。とても恐ろしい女(たち)だった。

 

(それでも彼女たちは表で優雅に見えても裏では、結構苦しんでいた。

それを表で隠しているのがとても上手かった。)

 

私は、そんな 強烈な支配者(たち)に ....

 

あのとき、「○○ちゃんにいつかお店を任せたいの♡」

いつかのあのとき、 あの一言に

私の本能が直感で感じたのは、 

「奴隷になる」という感覚だった+。

正直、内側からぞっとした..感覚が一瞬あったのを

私は、はっきりと覚えている。でも私はその心の感覚を無視して、

そこに奉仕することに甘んじた。

結果は、予想されるとおりになった。

(計画されたことは、なにもかも上手くいかなかった。

むしろ大きな赤、マイナスが膨れ上がるばかりだった。

そんな中、焦りだけが走り回り、私は自分を磨耗していった。2017

そして不可思議な集合体は解体された。2018

それぞれ本来の姿に。本来の場所に戻った。元通りになった。

私は、以前より、ずっと私らしく成れた。2019

今のほうが自然だ。他者から決められた私は本当の私じゃない。そんなの窮屈だ)

 

 

自分を犠牲にすることは、一時的な我慢ができたとしても

心が良しとしない。

私はやっとの思いで(その無限地獄から)離脱した。

 

+支配され管理され監視されること。

そんなのは、私にはとても耐えられない

 

彼女(たち)は、自分の奴隷になってくれる下僕を求めている。Qd

(逆らうことのない、忠実な下僕を。)

私は、本能でそれを知っていた。

 

ただ私は、アサシンの気質であり、

生まれながらの叛逆者だった。

 

もうなにも恐いものは、ない。

もう恐れることなんて私の世界に存在しない。存在させない。

 

きらわれることに恐れることは、ない。

そんなもの、私の世界に必要ない。

 

そうはっきりと決められたとき、

私は、やっと幸せを感受できると思った。++6

それこそが私の求めていた自由だ。ただ"在る"ことだけに感じる至福。

私は私が創造する全てに責任を持つ。そう決めることができた。

全ては、自らの投影・投射に過ぎない..とわかったとき、

それ(幻影)は、音を立てて崩れていった。そう私が作り出した幻だった。

 

++6

(それまでは、彼女たちの監視下での

制限された見せ掛けの至福。靄が霧がかかっていた。

 

自分らしさを許されず、

自分を封じ込めなければいけない場所に

私の至福はない。 

 

他人を気にしなくなり

他人をあるがままでいいと思える。

永遠の至福はそこにある。

感じたいように感じていい。

裏切っていい。(裏切れなかったら,むしろ自分がしぬw

過労死したり自殺したくなる人は、

強力な.社会や人のマインドコントロール

苦しめられて裏切れない人たちだ。)

 

 

(見せ掛けの、幻想を) むしろ斬る。

裏を斬る。ぶった斬る!

 

裏切る とは、幻想の裏を斬ることだ。

 

古い固定観念を裏斬れ!!!

古い想念の叛逆者になることを恐れるな

 

真相に気付き、真実を悟り、真理に至るとき、

裏を斬る試みは、スリルある小説を生きているかのようだった。

(しんどい時期あったけど意識では現実をごまかしながら現実逃避しながら

なんとか乗り越え、その過程、できうる限りの工夫を凝らしながらも

割と自分なりに楽しんでたように思う...耐えた...wa

生き延びた...良かった...安住の心地に至るため?!の経験?!だったのかな

 

この世は、
体験するための
舞台装置。)

 

そうして私は、いまに至る。 

 

いろんな不浄念、手放せた~~~ひぁ~~~

 

 

 

 

 

幸せを感じることに計画は必要なく、

幸せを感じるのは、お金があるからでも.理想の彼氏がいるからでも.素敵な仲間たちに囲まれている.友達に恵まれている、からではない。

 

自分が自分で在ることに

存在の至福 を感じられることに幸せがある。

 

したがって、好きなことをしている時間は、至福そのものだ。

好きなことは、自分が自分で在れるからだ。

 

~~Qd

やっぱりおかしい、おもったとおりだ。

それは、私自身が本能的に

わかっていたことであり、

 

自分自身で、あえて経験するために

(経験しなくてもいいのに、何度繰り返すねん)

まぎれもなく自分自身で作り出したことだ。

 

それを3度経験することで

確信に至る気付きに気付くこと。

 

加害者と被害者は、共同創造者だということ。

被害者にしてしまったのは、加害者であるし

加害者にしてしまったのは、被害者だ。

 

おかげで

崇拝する対象など、なにもない。

外側に価値ある何かは、なにもない。

ということに、根底から気付くことができた。

 

やるべきことなど、人生で果たすべき課題など、

社会の義務など、~べきとか、~せねばならぬ ものなど

この世に本来、存在しない。

 

なぜなら、いまある私、存在そのものが

ただそれだけで無限の価値あることだからだ。

I am that I am

存在の至福を理解すること

存在していることに価値がある

 

本来、存在そのものが とほうもない 大いなる 

とてつもないエネルギー体

なのだ。